2011年9月25日日曜日

原発ゼロへ!原子力空母はいらない!横須賀集会

 9月25日、横須賀ヴェルニー公園で、「原発ゼロへ!原子力空母はいらない! 米原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀配備3年抗議集会」が開かれ、 4500人が集まりました。主催は、安保破棄中央実行委員会・原子力空母配備阻止神奈川県闘争本部・三浦半島阻止連絡会・首都圏の安保破棄実行委員会で す。横須賀集会.jpg
 3年前に原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備され、原子炉の事故や放射能漏れの危険が指摘され、反対運動が広がりました。昨年も9月25日に 集会が行われ、日本で原子炉のメンテナンス作業を行い、放射性廃棄物を輸送船に積み替えて搬出していることの危険性を告発しました。そして今年3月の福島 第一原発の事故は、3000万人が暮らす首都圏・東京湾の入り口に、原発と同じ「軽水炉」型の原子炉を抱えた空母が居座ることがいかに危険なことであるか を、現実の問題として私たちに突きつけました。国民の命よりも日米同盟を大切にする政府はもういりません。原発ゼロをめざす国民的な運動とともに米原子力 空母撤去の運動をさらに広げていきたいと思います。

国境のない核汚染 『ヒバクシャ』(鎌仲ひとみ)から

 鎌仲ひとみ監督の映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』(2003年)をDVDで観ました。この映画の完全シナリオが収録されている書籍『ヒバクシャ ドキュメンタリー映画の現場から』鎌仲ひとみ著(2006年、影書房)も読みました。
 イラクでは、1991年の湾岸戦争で米軍に大量の劣化ウラン弾を投下された後に、白血病を患ったり障害を持って生まれてくる子どもたちが年々増え続けました。鎌仲さんは、1998年の最初の取材では、イラクの子どもたちを殺しているのは医療を危機的な状態に陥らせている経済制裁にあると感じました。そして制作したドキュメンタリー『戦禍にみまわれた子供たち ― 湾岸戦争8年後のイラク』が1999年2月NHKの衛生番組で放送されました。
 その後、鎌仲さんは、写真家の森住卓さんの紹介で肥田舜太郎医師に会い、イラクの子どもたちに起きていることは被曝だということを知り衝撃を受けます。肥田さんは、自身も被爆者であり、戦後一貫して被爆者医療を続けてきた専門家です。2001年の夏、原爆記念日に肥田さんと一緒に広島を訪れ、そこで「アメリカのヒバクシャ」というトム・ベイリーさんと出会いました。ハンフォード核施設が、故意に放射性物質を風下にばらまいて住民をモルモットにしたと彼は言います。
 こうして、イラクの劣化ウラン弾の被害者、アメリカの核施設による放射能汚染による被害者、日本の広島・長崎の被爆者は、それぞれ同じ苦しみを抱え、根源には核兵器や原発の核燃料製造に伴う放射性物質の大量蓄積があったことにたどり着きます。こうして映画『ヒバクシャ』が作られ、2003年に上映されましたが、私はこの映画を観ていませんでした。劣化ウラン弾がもたらす被爆の問題や、広島・長崎の被爆者認定の壁に「低線量被曝」の問題があることを知っていましたが、アメリカのハンフォード核施設で、原爆に使用された濃縮ウラン・プルトニウムや原発の核燃料が作られ、副産物として劣化ウランが大量に生成されていたことをこの映画・書籍で初めて知りました。DSC01299.JPG
 東日本大震災による福島第一原発の重大事故によって住民が被曝の危険にさらされています。多くの人々が鎌仲さんの『ヒバクシャ』を注意深く観て、現在進行している被曝問題の本質に気づき、それを止めることができていたら、こんなことにはならなかったのではないかという後悔の念が生まれました。でも、たたかいはこれからです。政府は原発を引き続き稼働させようとしていますし、核兵器も世界にたくさん存在します。濃縮ウランの製造と使用済み燃料の再処理をやめさせることが、その根元を断ち切るために必要です。

2011年9月18日日曜日

私は忘れない GROUND ZERO 追悼慰霊祭

DSC01269.JPGDSC01272.JPG 9月17日、東京新宿・経王寺で、「私は忘れない GROUND ZERO 追悼慰霊祭」が開かれ、参加しました。主催は、同追悼慰霊祭実行委員会、協力:アユース仏教国際協力ネットワーク、日本国際ボランティアセンター(JVC)です。
第一部のシンポジウム「希望を探して・・・・」~平和な社会をつくるには?~ では、野中章弘さん(ジャーナリスト)、長谷部貴俊さん(JVCアフガニ スタン現地代表)、原文次郎さん(JVCイラク事業、現地調整員)が、9・11から10年の間にたくさんの一般市民が殺された理不尽さと深まる外国軍への 反発、進まない復興と人道支援の必要性などについて話されました。3人の報告を受けて、臼杵陽さん(日本女子大学文学部教授)が対テロ戦争の背景には、そ れ以前のアメリカによる中東の石油支配の戦争政策があったことなどに触れ、テロと報復戦争の意味を考えるとともに、宗教対立を煽るマスコミの問題点などに ついて言及されました。
第二部は、追悼法要でした。ヒロシマ・ナガサキ原爆の犠牲者、ニューヨークテロの犠牲者、東日本大震災の犠牲者のご冥福を祈り、参加者全員で法華経を合唱しました。
第三部は、音楽慰霊祭で、上畑正和さん(ピアノ・足踏みオルガン)、渡辺順一さん(サックス)、梅野泉さん(詩・朗読)による演奏に聴き入りました。
9・11から10年、3・11から半年後に、グラウンド・ゼロに直面した人々の苦しみと悲しみを忘れずに、それを乗り越えて希望を切り開いていこうとい う趣旨のシンポジウムと追悼慰霊祭が行われたことは、たいへん意義のあることだったと思います。無宗教の私も、法華経を唱和し、死者をご供養することがで きました。

2011年9月11日日曜日

9・11同時多発テロから10年に思うこと

 アメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突撃し、3000人もの犠牲者を出した9・11同時多発テロから10年の今日、世界が平和への祈りで包まれることを願ってやみません。
私は、このテロ事件に対して、アメリカがアフガニスタンへの報復戦争を始めることに反対する世界の市民がインターネットを通してつながり、声をあげたこ とを思い出します。そうした情報を交換していたメーリングリストのメンバーが、一般のメディアではあまり目にすることができない彼らの声を多くの人に読ん でもらうために出版したのが坂本龍一+sustainability for peace 監修の『非戦』(2002年、幻冬舎)です。戦争と報復テロの連鎖を断ち切るために武力を使わない世界平和の構築を多くの人が考え、訴えました。
また、アフガニスタン戦争にとどまらずイラク戦争へとアメリカが戦争政策を拡大していくことに疑問を持ち、反対するアメリカの市民や退役軍人の活動も高 まりました。アメリカの戦争政策を告発する必読書の一つがジョエル・アンドレアスさんの「戦争中毒」です。アンドレアスさんは、アメリカの漫画家で反戦活 動家です。日本では、きくちゆみ監訳・グローバルピースキャンペーン有志訳『戦争中毒 アメリカが軍国主義から脱け出せない本当の理由』(2002年、合 同出版)が出版され、注目されました。
それから、去年の私のブログで紹介した、平和な明日を求める9・11犠牲者家族会(September 11 Families for Peaceful Tomorrows )の活動を記録した『われらの悲しみを平和への一歩に』(2004年、岩波書店)も忘れてはいけません。
戦争は市民が望んで起きるものではありません。軍需産業をはじめとする大企業の利益を目的として起きるのです。日本は、1945年8月の敗戦まで、そう した戦争の加害者となり、その報復として原子爆弾をヒロシマ・ナガサキに投下されました。このことを深く反省し、日本国憲法前文で二度とその誤りを繰り返 さないことを宣言し、九条により戦争を放棄したのです。
日本の戦争を美化する中学校歴史教科書が少なくない学校で採択されてしまいました。戦争を知らない若い世代に、歴史の真実と日本国憲法に刻まれた平和へ の決意を伝えていくためにも、9・11同時多発テロ事件の背景と報復戦争の問題について一緒に考えていきたいと思います。