2013年3月11日月曜日

大震災から2年、急がれる被災地住民の生活本位の復興と原発ゼロへの政治決断

 3月10日、東京では11時から「東日本大震災復興と原発ゼロの実現をめざす3・10東京集会」が日比谷公園で行なわれ、5000人が参加しました。この集会の主催は、原発をなくす全国連絡会で、日比谷公園の草地広場での開催を当初予定していましたが、公園を管理する東京都に集会で使うことを拒まれ、日比谷野外音楽堂の近くで開かれ、主催者あいさつ、被災地からの報告のあと日本共産党委員長の志位和夫さんが原発事故視察の様子を報告し、再稼働許さない決意を表明しました。DSC00685.JPG
続いて首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんが連帯のあいさつ、農民、青年、科学者、地域で活動されている方々が、大震災被災地への支援のとりくみと原発ゼロへの想いをスピーチされました。
 午後からは、首都圏反原発連合主催の原発ゼロ☆大行動が繰り広げられました。午後1時に日比谷野外音楽堂に満員の人が詰めかけて反原連の集会が始まった時は、とても暑かったのですが、急に砂混じりの冷たい風が吹いてきて私は「すごい黄砂だ」と思いました。でもツイッターで情報を追ってみると、実はそれは黄砂ではなく、寒冷前線の通過に伴う砂嵐(煙霧)でした。集会後の国会請願デモは延々と続き、最後尾は1時間以上おくれて出発し、霞ヶ関の官庁街から首相官邸前、国会議員面会所前を通り、原発ゼロと被災地の住民生活本位の復興を訴えました。デモ行進の後、国会議事堂正門前を中心に夜の7時まで各エリアごとに「原発なくせ」「再稼働反対」「子どもを守れ」のコールとスピーチが続けられました。DSC00709.JPG
午後の砂嵐から夜にかけて、たいへん寒くなった天候のなかでしたが、日比谷野外音楽堂集会、霞ヶ関・国会デモ行進、国会前集会にあわせて約4万人が参加しました。ツイッターで首都圏反原発連合のスタッフが「今後も抗議活動を続け、原発ゼロの民意をたたみかけていきましょう」と呼びかけました。

軍隊は女性を守らない―沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力

 昨日、注文していたwam第10回特別展カタログ『軍隊は女性を守らない―沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力』が届きました。wam=アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」は、戦時性暴力についての記憶と活動の拠点です。その第10回特別展「軍隊は女性を守らない ―沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力―」は、昨年6月から今年の6月30日まで開催中です。
 以前から見たいと思っていたのですが、なかなか足を運べず、このカタログを注文しました。
 内容は大変充実しています。まず驚いたのが、表紙裏に「沈黙の声-米軍の性暴力に抗して」の展示パネルを再現して、時系列におびただしい数の暴力被害が列挙されていたことです。
 本書の構成は、「はじめに」、1.沖縄の歴史と日本軍の侵略、2.日本軍による性暴力被害、3.戦後も続く性暴力で、たくさんの証言と歴史資料が掲載されており、「慰安婦」にされたのが朝鮮人だけでなく、沖縄や九州の人もいたこと、自宅を慰安所にされた人の証言など、沖縄における日本軍慰安所と「慰安婦」被害の実態が明らかにされています。戦後67年、癒やされない元「慰安婦」たちの苦しみと、米軍駐留下で絶えることのない性暴力被害の実態を、私たちはしっかりと見つめ、戦争と軍隊の本質、基地問題について考えていくことが必要ではないでしょうか。「慰安婦」問題で旧日本軍による強制と関与を否定するような主張は絶対に通りません。多くの人に、wamの特別展・カタログを見ていただきたいです。
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2013年1月27日日曜日

ナターシャ・グジーさんの想い

 1月18日・25日付「しんぶん赤旗」で、ウクライナ出身の歌手でバンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんのエッセイを読みました。ナターシャさんは6歳のとき(1986年4月)父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝し、避難生活で各地を転々とし、2000年から日本で音楽活動を続けています。
 3・11と福島原発事故についてナターシャさんは次のように書いています。「私が心から愛しているこの国の人々がなぜこんなに悲しい思いをしなければならないのか、信じられませんでしたが、やがて日本人の思いやり、心の優しさが世界中に伝わり、きっと日本は大丈夫、と思いました。しかし、とても恐れていたことが起きました。原発事故です。大変に大きなショックを受けました。かつて私たちが経験した悲劇を、もう誰にも経験してほしくない、二度とあの事故が起きてはいけないと、チェルノブイリ原発事故を体験したすべての人たちが、心から願っていたのに。毎日眠れずに泣いていました」 「チェルノブイリ原発事故のあと、何年もたってから友達が何人も病気になり、結婚してからも、その赤ちゃんたちが病気や障がいを持って生まれています。一度起きてしまったら、ずっとずっと、大地や人々を苦しめ続ける大きな悲劇なのです」 「今は何より、原発事故のためにつらい思いをしている子どもたちの、体と心の健康をとても心配しています。…子どもたちの被曝をどうしたらもっと減らせるのかを考えることが、ずっとこの国の未来には大切なことではないでしょうか。私はそのためにできる支援を続けたいと思います」

2013年1月5日土曜日

軍事独裁政権に抗して殺されたビクトル・ハラ

 今日新聞で、1973年9月にチリの軍事クーデターに反対する活動家や市民が収容されたスタジアムで虐殺された歌手ビクトル・ハラに関する記事を読みました。サンティアゴの控訴裁判所がビクトル・ハラの虐殺に関与した元軍人8人に対する逮捕状を発行し、2日までに4人が逮捕され、40年ぶりに真相解明が期待されているということです。
 ビクトル・ハラの代表曲の1つが「平和に生きる権利(1971年)」です。この曲はベトナム反戦劇のために書かれた曲で、日本でもいくつかの訳詞で歌われています。私がなじみ深いのは、学生時代に歌った音楽センターの訳詞です。
 昨年、脱原発・再稼働反対のデモのなかで「平和に生きる権利」は新たなバージョンとして生まれ、私たちを励ましてくれました。それは、リクルマイ、中川敬の詞、大熊ワタルのアレンジ、演奏=ジンタらムータwithリクルマイで、CDも発売された「平和に生きる権利」です。news_thumb_JANTALA-MVTA_LikkleMai.jpg
 私たちは、歴史のなかで軍事独裁政権、ファシズムとたたかい命を落とした多くの先人たちの遺志を継いで、平和な世界をつくっていきたいと思います。軍事力を背景に国際的な力を強めようとするいかなる策動にも抗して、声を上げていくことをやめません。
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歌手ビクトル・ハラ虐殺 元軍人を逮捕・裁判へ
  チリ、40年ぶり真相解明期待

 南米チリの首都サンティアゴの控訴裁判所はこのほど、1973年のピノチェト陸軍司令官によるクーデターとたたかった国民的人気歌手ビクトル・ハラの虐殺に関与したとして、元軍人8人に対する逮捕状を発行しました。警察は2日までに4人を逮捕。遺族らは同日会見し、裁判で虐殺の真相が40年ぶりに解明される可能性があるとして期待を表明しました。

 報道によると、まだ逮捕されていない4人のうち、虐殺の主犯とされるペドロ・バリエントス氏は現在、米フロリダ州に住んでいます。チリのテレビ局は昨年5月放映の番組で「バリエントスは、ハラが質問に答えなかったことに激怒し、至近距離で彼を撃った」とする元軍人の証言を紹介していました。
 遺族らは会見で、バリエントス氏の逮捕は真相解明に不可欠だと強調し、米国政府に対し同氏をチリ側に引き渡すよう求めました。チリ司法当局は2日、米国にバリエントス氏の身柄引き渡しを求める方針を明らかにしました。
 ハラの妻、ジョアン・ターナー氏は同日、「元軍人らの裁判は真相解明の道を開き、犠牲者の遺族にとって希望になる」と強調。遺族の弁護士であるネルソン・カウコト氏は、事件から40年経過しても犯人を追及することについて「独裁の犯罪者は場所と時間をこえて訴追されなければならない。犯罪者が裁かれないと犠牲者は安心して眠れない」と語りました。
 ビクトル・ハラは、チリ共産党幹部としてアジェンデ人民連合政府を支え、軍事クーデター直後に軍隊に拘束されました。クーデターに反対する活動家や市民が収容されたスタジアムで虐殺され、4日後に遺体で発見されました。拷問を受けても市民を励ます歌を歌い続けて抵抗したといいます。
 2009年12月にはサンティアゴで、死後36年を経て公式の葬儀が行われ、政府の閣僚などが出席、数万人の市民が集まりました。(島田峰隆)
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〈チリの軍事クーデター〉 米国の支援を受けたピノチェト陸軍司令官が1973年9月、選挙を通じて誕生したアジェンデ人民連合政府をクーデターで倒し、軍事独裁政権をつくった事件。90年の民政移管までの弾圧で約3200人が死亡もしくは行方不明になりました。2011年までの調査によると、拷問や投獄などの被害者総数は4万人を超えます。
【しんぶん赤旗 2013年1月5日】

2012年12月24日月曜日

12・23福島チャリティフェスティバル

 学生有志の実行委員会が、12月23日、新宿アルタ前で、脱原発を訴えて、福島に思いをよせるライブ&トークイベントを行いました。集まった募金は、「福島復興共同センター放射能対策子どもチーム」に送られます。この共同センターは、甲状腺検査や除染、医療費助成の問題で、国や自治体への要請行動やシンポジウム、おしゃべり会の開催など、子どもたちを放射線被害から守る運動をしているところです。
 チャリティフェスティバルは11時からスタートし、ステージ企画が進行していく傍らで、学生たちが街頭募金活動を行ないました。私は、16時30分からのトーク「松本哉×ミサオ・レッドウルフ×鎌仲ひとみ」だけみさせていただきました。
 映画監督の鎌仲ひとみさんは、放射能がいかに危険なものかをまだ多くの人が知らないということ、映画づくりでは原発推進派の人の意見も含めて一緒に考えていけるように心がけていることなどを話されました。
 素人の乱の松本哉さんは、いままで原発をつくり、利権をつくってきた人たちがのさばってきたのは、何も考えないで言うことをきく人が多かったからだ。だから「言うことをきかない」で自分でできることは自分たちでやる、そういう仲間がいて、いろんな場所ができてというのをもっとつくっていかなければいけないと述べました。
 首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんは、大きなメディアで流れていることにみんなが注目しているという状態はよくない。いろんなコミュニティーがあってそこで発信していくとか、そういうことが普及していくと人々の意識が自立していく。自立しなくてもいいから、もっとましな考え方を聞けるようにならいといけないと訴えました。
 原発・被ばくの危険性を訴え、反原発・被災者支援の運動をすすめてきた3人が思いの丈を語った有意義なステージ企画でした。
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戦争の真実を知ること

 尖閣諸島問題を軍事力で解決しようとする政治家が発言を強めていますが、国民を守ることと、国土を守ることは、相反することが往々にしてあります。
 関東軍の謀略によって南満州鉄道が破壊された柳条湖事件(1931年9月18日)を口実に、日本の中国侵略戦争が拡大していきました。関東軍は、柳条湖事件を張学良軍の仕業であるとして軍事行動を開始して、翌1932年初頭までに満州全土をほぼ制圧し、32年3月に溥儀(ふぎ)を執政にすえた傀儡(かいらい)国家「満州国」がつくられました。
 「関東軍」というのは、日本が日露戦争で獲得した関東州と南満州鉄道という大きな権益を守るために関東州に設置された守備隊を、1919年に関東軍という名称に変え、天皇に直属する有力な部隊に格上げしたものです。守備隊も関東軍も同じ軍隊ですが、名前と位置づけが変われば国を挙げた侵略戦争へと暴走していくのです。
 日本軍は、日中戦争で非道きわまる虐殺を繰り返しました。国民がそれを望んでいたわけではありません。大本営発表により国民をマイルドコントロールし、「非国民」を容赦しない恐怖政治によって、国民総動員を成し遂げたのです。
 1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸して始まった沖縄戦では、本土決戦準備の時間を稼ぐこと、国体を護持すること(天皇制を守る)のために降伏を許されず、およそ3か月にわたり激しい戦闘が続き、日本軍により壕から追い出された住民は、自決を強要されるなど、さまざまな虐待・虐殺などにより死の道連れにされ、軍人よりも多くの犠牲者を出すことになりました。
 総選挙で多数の議席を得た自民党は、憲法「改正」をめざしていますが、九条を変えて国防軍を設けることは、再び恐怖政治で国民を縛り、他国と日本の市民に戦争の犠牲を強いるという、歴史の過ちを繰り返すものです。戦争の真実を知り、子どもたちに伝えていくことは、平和に生きる権利を守り、世界に広げていくために必要な、良識ある日本人の責任だと思います。

2012年12月8日土曜日

JAL控訴審勝利をつかむ12・6大集会

 12月6日、東京「みらい座いけぶくろ」で、JAL控訴審勝利をつかむ12・6大集会が開かれ660人が参加しました。
 日本航空(JAL)は、2010年大晦日にパイロット81名、客室乗務員84名(計165名)を不当に解雇しました。解雇されたのは、経験豊富なベテランの職員です。この首切りが違法なものであることは、1年前に私のブログで書きました。http://s-mituru.blog.so-net.ne.jp/2011-12-07
  JAL不当解雇撤回裁判は、今年3月、一審の東京地裁判決で、会社側主張を丸呑みし解雇を容認する不当判決が出されています。大集会が開かれたこの日は、控訴審勝利をめざす全国キャラバン行動の集結の日であり、東京高裁で第1回の控訴審(パイロット原告団71名)が開かれた日でした。
 集会は全労協議長の金沢さんの開会あいさつ、裁判の報告を弁護団長の上条弁護士がおこない、続いて構成劇『必ず勝つで、ごJAL』(劇団「げんこく」)が上演されました。
 裁判原告団のみなさんが、企業の横暴な「首切り」を許してはいけない、採算優先のJALフィロソフィによる過密労働と運航の危険性、安全な航空にはベテランのパイロットと客室乗務員が必要なことを熱演し、観衆の笑いを誘いながら分かりやすく訴えました。
 ベテランの職員を解雇する一方で、JALは利益を上げ、これまでに新たな客室乗務員を940人採用(10月までに650人が入社)しています。これはこの解雇が、表向きは「会社更生手続」を理由にしながら、労働組合を敵視した不当労働行為であることを物語っています。「首切り自由の社会」を許さない、労働者・国民の声を集めて、JAL不当解雇撤回裁判を勝利させましょう。
JAL解雇撤回国民共闘のホームページはこちらです。http://www.jalkaikotekkai.com/index.html
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