2014年3月13日木曜日

原発と東日本大震災と放射能汚染

 今日、3・11東日本大震災から3年目をむかえました。
 私は、世界の貧困や戦争の問題を正面から取り上げているフォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」の2011年1月号(2010年12月発行)の「浜岡原発 爆発は防げるか」を読んで、地震と津波によって原子力発電所に臨界事故(メルトダウン)が起きることを知り、警鐘を鳴らす必要を感じ、ブログに記事を書きました。
http://s-mituru.blog.so-net.ne.jp/2010-12-21
そして、2011年3月11日の東日本大震災によって恐れていたことが現実になってしまいました。福島第一原発は、電源喪失により原子炉の冷却が不能に陥り、翌日(12日)、1号機が水素爆発を起こし、14日には3号機、15日には4号機の原子炉建屋が爆発しました。建屋が爆発しなかった2号機でも14日の夜には炉心溶融が始まり、15日の午前0時2分にベントが実施され、6時14分に圧力制御室付近で爆発音がありました。大気中に放出された放射性物質は福島県内だけでなく関東地方にも降り注ぎましたが、政府はそのことの重大性を隠してきました。
 DAYS JAPAN 2012年6月号は、「隠される被ばくに立ち向かう」を特集しました。ETV特集「ネットワークでつくられる放射能汚染地図5」に関わったディレスターの手記、チェルノブイリ事故後の子どもたちの病と向き合ってきたベラルーシの母親からのメッセージ「わが子が甲状腺がんを宣告された日」、原爆被爆者の治療を続けてきた肥田舜太郎さんのインタビュー(聞き手・おしどりマコさん)などを掲載し、放射性物質の飛散情報が隠されていたために、半減期が8日と短いヨウ素131による被ばくの実態が把握されていない問題と危険な内部被ばくへの注意を喚起しました。
DAYS2011-12&2012-6.JPG 福島第一原発事故は現在進行中です。メルトダウンした核燃料は放射能を出し続け、核燃料棒もまた崩壊しそうな原子炉建屋のプールにあるのです。原発の再稼働をすすめる政府に対して、多くの国民が抗議の声を上げ、全国各地にある原発の廃炉を求め行動しています。放射能汚染をこれ以上広げないためには、廃炉しか道はありません。

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