2011年12月25日日曜日

2011年を振り返る(下半期)

今年の7月以降は、おもに参加したイベントや読んだ本の紹介などです。本当はもっと書くべきことがあったと思います。アメリカの貧困と格差の拡大に抗議し 立ち上がった若者たちのことや競争至上主義の教育政策をめざす橋下大阪維新の会のことなど。そうしたなかでも、いま現在、生存が脅かされている人たち、人 権を守るためにたたかっている人たちのことを多くの人に知って欲しいというのが一番強い私の想いです。
下半期の記事を列挙します。
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〈23〉2011-7- 3 原発ゼロをめざす7・2緊急行動
〈24〉2011-7-18 福島原発事故による放射能汚染とたたかう
〈25〉2011-8- 6 映画『にんげんをかえせ』が転機に~沼田鈴子さん
〈26〉2011-8-10 長崎から福島へ~ヒバクシャを生みたくない~
〈27〉2011-8-12 20世紀から続いてきた放射性廃棄物による汚染
〈28〉2011-9-11 9・11同時多発テロから10年に思うこと
〈29〉2011-9-17 私は忘れない GROUND ZERO 追悼慰霊祭
〈30〉2011-9-25 国境のない核汚染 『ヒバクシャ』(鎌仲ひとみ)から
〈31〉2011-9-25 原発ゼロへ!原子力空母はいらない!横須賀集会
〈32〉2011-10- 1 グローバルフェスタ JAPAN 2011
〈33〉2011-10-10 武装解除、治安の改善、和解と共存、経済的・社会的自立へ
〈34〉2011-11-17 復興をめぐる二つの道の対決
〈35〉2011-11-28 誤爆が続けば確信犯~アフガニスタンからNATOは出て行け
〈36〉2011-12- 4 見つめよう 歩みだそう 3・11後の教育と憲法(1)
〈37〉2011-12- 4 見つめよう 歩みだそう 3・11後の教育と憲法(2)
〈38〉2011-12- 7 日本航空は違法・不当な解雇を撤回し、安全最優先の再建を!
〈39〉2011-12-11 希望 ―命のメッセージ―
〈40〉2011-12-15 イラク戦争終結 ~米軍の戦争犯罪を許せない★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
番外編:私のもう一つのブログ「心の瞳で」に、光都東京LIGHTOPIA 丸の内仲通りイルミネーション、〈絆と希望、そして未来へ〉のテーマを込めたアンビエント・キャンドルパークの写真を掲載しました。こちらのブログ記事 は、写真をクリックすると大きな写真で見ることができます。
http://mituru261.blog.so-net.ne.jp/2011-12-25

2011年12月17日土曜日

2011年を振り返る(上半期)

今年書いた記事を振り返ってみました。沖縄の基地問題から始まって、ベトナム戦争やイラク戦争の傷跡、子どもの貧困問題、大震災からの復旧・復興問題など、どれも憲法の理念を生かした政治のあり方が大きく問われたと思います。
上半期の記事を列挙します。
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〈01〉2011-1-15 沖縄を返せ 沖縄へ返せ
〈02〉2011-1-17 アメリカの右傾化(DAYS JAPAN 1月号)
〈03〉2011-1-19 JAL不当解雇撤回裁判を応援します
〈04〉2011-2- 3 枯葉剤の傷跡を見つめて
〈05〉2011-2-26 写真展 イラクの目撃者
〈06〉2011-2-27 子どもの貧困の克服をめざして
〈07〉2011-3-13 大地震(M9)の被災者の皆様への物心のご支援を
〈08〉2011-4- 2 JIM-NETからの手紙
〈09〉2011-4-23 福島原発事故~今しなければいけないこと
〈10〉2011-5- 1 第82回中央メーデー集会で被災者支援・被災地復興を呼びかけ
〈11〉2011-5- 3 5・3 憲法記念日の集い(千葉市)
〈12〉2011-5- 9 被災地復興支援ボランティアに参加
〈13〉2011-5-21 ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月(1)
〈14〉2011-5-22 ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月(2)
〈15〉2011-5-31 雲仙普賢岳大爆発から20年・・・高原至“大災害”写真展
〈16〉2011-6- 9 被災地のニーズに応えたNGOの支援活動(1)
〈17〉2011-6-10 被災地のニーズに応えたNGOの支援活動(2)
〈18〉2011-6-11 いのち、子育て、そして九条~こころの医療の現場から~
〈19〉2011-6-15 沖縄の海に想うこと
〈20〉2011-6-18 戦争への反省のない国家主義的な教科書に反対します
〈21〉2011-6-22 「集団自決」をジェンダーの視点から考える
〈22〉2011-6-25 『無言館』への旅

イラク戦争終結 ~米軍の戦争犯罪を許せない

12月14日、オバマ米大統領は8年9か月に及んだイラク戦争の終結を宣言しました。
私は、プロフィールの画像に「No War on Iraq !」を使っているように、このイラク戦争が日本国憲法の平和主義、戦争放棄の理念から絶対に許すことができないと考え、戦争の無法を告発してきました。
憲法の前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言し、第九条で戦争を放棄した私たち の国日本。その日本の当時首相だった小泉総理が、米ブッシュ大統領が開始したこの大義なき戦争に理解を示し、自衛隊を派兵するという重大な憲法違反の政治 を行なったことは、たいへんショックでした。
2003年12月に、イラクのフセイン大統領が拘束された後も、激しい戦闘が続き、たくさんのイラク人が殺され、米軍の兵士も死にました。2004年2月 陸上自衛隊本隊がサマワに到着し、給水活動の映像が繰り返し流されましたが、NGOによる給水活動の方がずっと効果があったといいます。2004年4月の ファルージャ掃討作戦では、白リン弾など様々な無差別殺戮兵器が使われ、無惨な死体が発見されました。日本人のボランティア、ジャーナリストがファルー ジャ郊外で拉致、拘束されました。米軍の戦争に日本が加担したことの罪深さを強く感じましたが、マスコミなどによる「自己責任」のバッシングはひどいもの がありました。
イラク戦争への自衛隊の派兵は憲法違反だという集団訴訟が各地でたたかわれ、2008年4月に名古屋高裁で違憲判決を勝ち取りました。
私は、平和憲法を持ちながら米軍基地を抱え、「思いやり」予算でアメリカの戦争政策を支えている日本という国の内部矛盾をこのまま放置することはできないと思います。平和憲法と日米安保条約のどちらを選択すべきかと言えば、もちろん日本国憲法です。
日本の平和憲法の精神を輝かせてくれるNGOがたくさんあります。そのことは、いろいろなところで紹介してきました。イラクで白血病やガンに苦しむ子ども たちを救うための医療支援を行なっているJIM-NETは、たいへん尊敬すべきものです。JVC(日本国際ボランティアセンター)やJANIC(国際協力 NGOセンター)など、日本にある多くの国際協力NGOが憲法の理念を生かした活動を行なっています。
2011年3月、日本をおそった東日本大震災の復旧・復興がまだ遅れている現状にあっても、こうしたNGOは、被災地で息の長い支援活動を行なっています。
イラク戦争を通して、深く考えさせられた日本の国際協力のあり方、憲法と日米安保の対立や基地問題について、これからも考え、発信していきたいです。イラ ク戦争は終わっても、イラク戦争の傷は、この先何十年も残ります。アメリカとその同盟国は、イラク戦争での過ちを謝罪し、賠償すべきです。

2011年12月12日月曜日

希望 ―命のメッセージ―

タイトルは、JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)代表の鎌田實さんと同事務局長の佐藤真紀さんによるフォトエッセイ集です。『希望-命のメッセージ-』(2011年、東京書籍)
 第Ⅰ部「東日本からの命のメッセージ」では、被災した石巻市の小学校、永厳寺境内での「不動の湯」の開湯を契機に、もっと多くの人にお風呂に入ってもら うために湊小学校に設置した「希望の湯」、被災者雇用創出事業(CFW=キャッシュ・フォー・ワーク)、外国人ボランティアとの交流、福島原発事故の深い 傷、子どもたちの作文や絵が紹介され、エッセイが添えられています。
 第Ⅱ部「「支援、命、希望について」では、被災して家族を失った人たちの悲しみ、子どもを支えることの大切さ、命の尊さ、温かい食べ物とお風呂の支援、弱い立場の人を支えることができる民主主義のあり方について鎌田さんが書いています。
 第Ⅲ部「イラクからの命のメッセージ」では、イラクでの医療支援を行なっているJIM-NET と交流のあるイラクの青年・子どもたちから、大震災で被災した東北の人たちに向けたあたたかいメッセージが紹介されています。
サマーワ出身でJIM-NETの資金援助で白血病の治療を受けたハウラさんが描いた赤い花の絵(愛の象徴)が、チョコレートのパッケージになって被災地にも届けられました。

今年のJIM-NETの「チョコ募金」は、イラクと福島の子どもたちを支援するための募金です。500円のうち300円はイラクの小児がんの子どもたちの 医療支援に、50円は福島の子どもたちを放射能からまもる活動に使われます。募金してくださった方には、カードつき缶入りチョコをプレゼント! 是非ご協 力ください。
http://www.jim-net.net/choco/

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2011年12月4日日曜日

見つめよう 歩みだそう 3・11後の教育と憲法(2)

昨日の「教育子育て九条の会第4回全国交流集会」のオープニングで、東京高校生平和ゼミナール連絡会の活動が紹介されましたが、『子どものしあわせ』11月号(日本子どもを守る会編集)にメンバーの田中さんが記事を書いています。沖縄戦と基地問題について書かれたところを抜粋して紹介します。
「核兵器・原発も軍事基地もない平和な世界をつくりたい -長崎・沖縄平和学習旅行に参加して」
(前略)…私が沖縄で一番印象に残っているのは、宮城喜久子さんの「次世代に伝えたいこと~ひめゆり学徒の証言」でした。話の中で「始めは血の出ている人も見るのが辛かったが、『我慢しろ、我慢しろ』と言われているうちに、血の出ている人も死んでしまっている人も見るのに慣れていった。女の子は女の子ではなくなっていき、人間らしさもなくなっていった」と言っていました。いまの私たちと同じくらいの女の子が将来の夢とかこれからやりたいことが私たちと同じようにたくさんあるはずなのに、毎日暗いところで人間らしさまで奪われるようなことをさせられていたのです。私だったら絶対逃げ出しているな、と思いました。しかし、この時代にはそう思わせないような教育があったということも学びました。宮城さんの話を聞いた日の昼に、南部戦跡の見学へ行き、糸数壕とひめゆり平和祈念資料館へ行きました。ひめゆり平和祈念資料館には、亡くなった人たちの写真とこの人はどういう人だったのかということが一枚一枚記録されていました。壕の中はとても暗く、このようなところで働かされたら、明日生きる希望なんてどうやって生み出すのだろうと感じました。これらを見て体験した夜に宮城さんの話を聞いたので、とても生々しかったし、聞いていてとても辛かったです。
このように沖縄戦で苦しい体験をし、戦争を憎む沖縄の人たちのフェンスを挟んだすぐ横にいまもあるのが米軍基地です。普天間基地や嘉手納基地へ行き、基地と住宅地の距離の近さを自分の目で見てよくわかりました。  米軍機墜落の可能性や犯罪におびえ、騒音に苦しみながら沖縄の人たちは生活しているのです。さらに沖縄にある基地から米兵が海外へ戦争に行き人を殺しているのです。宮城さんはこのことをものすごく悔しいと話していました。戦争を知る沖縄の人がこれを許すはずがありません。
(中略)…私は、いま、戦争体験を証言し訴えている人たちの気持ちを受け継ぎ、次世代に伝えていき、仲間と共に米軍基地の撤廃を訴え、憲法九条を守っていきたいと思います。 --------------------------------------------------------------------------------------------------  
私は、この日(12月3日)の夜、沖縄の若者たちによる舞台劇「フクギの雫 ~沖縄・宮森小学校米軍機墜落事件から52年~」を観劇しました。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184803-storytopic-1.html
東京と沖縄の若い人たちが、同じように戦争と平和について考え、行動していいることに希望を感じました。

見つめよう 歩みだそう 3・11後の教育と憲法(1)

表題は、12月3日に東京・明治大学で開かれた「教育子育て九条の会 第4回全国交流集会」のテーマです。内容が盛りだくさんで、何から書いたらよいか悩んでしまいますが、概要を紹介しましょう。写真撮影は許可が必要だったので、残念ですがテキストだけです。
 オープニングは、東京高校生平和ゼミナール連絡会がとりくんできた活動紹介です。8月7日から10日までの長崎平和学習旅行、8月10日から13日まで の全国高校生平和集会in沖縄のとりくみ、東日本大震災被災地へのボランティア活動を通して感じた生命と自然、人の絆の大切さについて話されました。
 シンポジウムでは、最初に「被災地・宮城の子どもの状況とこれからの課題」(石巻市・内海さん)、「郡山より・・・住民不在の一時保管場所選定がもたら す不安と混乱」(野口さん、根本さん)の報告を受けて、暉峻淑子さん、斎藤貴男さん、田中孝彦さんによるパネルディスカッションが行われました。東日本大 震災の被災地復興について、政府・財界が、個々人の生活の再建や学校・地域の復旧にとりくまずに、大企業の投資を見込んだ復興策に傾倒していること、原発 事故への対応を自治体や住民に丸投げして、新たな困難を押しつけていることなどが指摘され、憲法の条文に示された人権保障が今切実に求められていることが 訴えられました。
 休憩をはさんで行なわれたリレートークでは、憲法改悪に誘導する中学校教科書の採択問題、「君が代」強制、大阪府・堺市の教育基本条例に反対するたたか い、「子ども・子育て新システム」の問題点、子どもの貧困と虫歯放置の深刻な状況、小学校の学校選択制と小中一貫校がもたらした品川区の教育のゆがみなど について、現場からの発言が続き、最後に提案された集会アピールは、子どものいのちをいつくしみ豊かな成長をはぐくむために、「憲法の視点にたち大震災の 復旧・復興を」「教育と子育てに憲法を生かそう」と声を上げ力を合わせることを呼びかけ、確認しました。集会参加者は、190名で大きく成功しました。

2011年12月1日木曜日

誤爆が続けば確信犯~アフガニスタンからNATOは出て行け

[カブール 24日 ロイター] アフガニスタン南部カンダハル州で、北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)の空爆により子ども6人を含む7人が死亡し、大統領府は24日、カルザイ大統領が調査を命じたと明らかにした。
 カンダハル州知事の広報官によると、反政府勢力の掃討作戦を行っていたNATO軍機が、兵士らが逃げ込んだ同州ザリ地区の村を空爆したところ、市民7人が巻き込まれて死亡したという。
 アフガンでは、タリバンなどの反政府武装勢力を追う外国軍が誤爆などで市民を死亡させるケースが後を絶たず、カルザイ政権と支援国との摩擦の大きな要因となっている。
 ISAF側も、この問題について調査を始めたことを明らかにし、「アフガン市民を守ることはわれわれの中心的任務であり、実際に何が起き、さらなる行動が必要かどうかを見極めるために事態を完全に調べる」との声明を発表した。
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[イスタンブール/カブール 27日 ロイター] 北大西洋条約機構(NATO)軍のヘリコプターによる誤爆とみられる攻撃でパキスタン軍兵士24人が死亡したことを受け、同国内では27日、駐留軍や米国への激しい抗議活動が行われた。
 カラチの米領事館周辺では数千人が集まり、「米国を倒せ」などと叫びながら攻撃に抗議。デモに参加した主婦は、「政府は直ちに米国との関係を断つべきだ」と憤りを表した。
 NATO側は、今回の事件について「悲劇的な、意図せぬ出来事」とし、調査を継続していると説明。一方で、匿名の西側当局者とアフガニスタンの治安関係 者は、事件発生時にNATO軍がパキスタン側からの攻撃に応戦していたと明らかにした。現場周辺は味方と敵の判別が困難な厳しい地形で、NATO軍の反撃 が誤爆につながった可能性もある。
 こうした中、ワシントンの米当局者は「われわれの目標は、あらゆる当事者が信頼を構築していくやり方で、調査を行うことだ」と語り、パキスタン側の反発に配慮する考えを示した。
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アフガニスタンとその周辺では、米軍を中心にするNATO軍による誤爆で、罪のない人々がたくさん殺されました。事件があるたびに、調査するなどと声明が 出されますが、これだけ誤爆が続けば確信犯です。掃討作戦は皆殺し作戦であって、ジェノサイドです。そのようなことを繰り返す米軍の基地を日本に置いてお くことは、我慢できないことです。

2011年11月17日木曜日

復興をめぐる二つの道の対決

9月2日に発足した野田内閣とそれ以前の菅内閣による政治の流れは、財界・大企業の要請に応えて、法人税減税とTPP参加をめざし、国民に対しては大増税を押しつけ、年金などの社会保障を切り捨てるという、大企業の利益優先、「日米同盟」強化の構造改革路線です。
 「復興をめぐる二つの道の対決 - 新自由主義的復興構想から訣別し、民衆的・福祉国家的復興の道を-」は、渡辺治さんが『3.11を生きのびる - 憲法が息づく日本へ』(小森陽一編、かもがわ出版、2011年)に書かれた論文の表題です。この二つの道の対立は、「原発を今後の日本のエネルギー政策で使うのか、それ(原発)をやめた経済、くらしを考えるのかという対立」「復興の財源は…消費税などを中心に考えていくべきなのか、大企業からの負担を主に行うべきなのかという対立」「復興は…『国際競争力ある東北』の創生めざして復興すべきか、それとも、そこで働いていた農業、漁業、地場の産業や営業がふたたび生き生きと活動する『復旧』を主体に考えていくのか、という対立」だと渡辺さんは指摘しています。そして、政府・財界がめざす構造改革の諸課題に対して、「私たちが『ノー』という声を上げれば、事態が動く可能性は十分にある」とのべ、原発再稼働を何としても止め、原発政策を転換させること、消費税引き上げを阻止すること、TPP参加を阻止することを訴えています。
 日米首脳会談で環太平洋連携協定(TPP)への参加にむけた協議入りを表明した野田首相は、15日の参院予算委員会で、アメリカが求めているコメや公的医療保険の自由化について、その可能性を否定しませんでした。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-16/2011111601_01_1.html
 この臨時国会で、野田内閣の姿勢を正し、被災者支援、被災地の復旧・復興を軸にした政治を求め、TPP参加を断念させることがどうしても必要だと思います。3.11大震災でコミュニケーションツールとして注目され普及したツイッターでも、こうした国民の声が大きく広がっています。一人ひとりが声を上げ、行動すれば政治を変えることができると思いますので、がんばりましょう。

2011年10月10日月曜日

武装解除、治安の改善、和解と共存、経済的・社会的自立へ

瀬谷ルミ子
朝日新聞出版
発売日:2011-09-20

「武装解除」というと大変ハードで危険な仕事と思いますが、瀬谷さんが行ってきたことは、内戦などによって傷ついた人々の自立を助けるためお仕事です。でもそれだけでなく、実際に軍人から武器を回収する仕事もされてきましたし、なかなかそれに応じない軍閥との交渉にもあたってきました。私は、2009年4月21日放送のNHKプロフェッショナル「銃よ、憎しみよ、さようなら」で瀬谷さんの活躍を知り、感動しました。平和憲法をもつ日本がすべき国際貢献は、こういうことなのではないかと共感しました。
本書では、実際のお仕事だけでなく、瀬谷さんの生い立ちや、困難に立ち向かっていったときの想いが書かれています。是非多くの人、特に若い人に読んでいただきたい1冊です。
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本の帯から~紛争地には「兵士」以外の職業がない。それが残酷な事実。生き方を自由に選べる環境を届けるために、私は兵士を除隊させ、武器を回収するプロになった~瀬谷ルミ子

2011年10月2日日曜日

グローバルフェスタ JAPAN 2011

エアーアーチ.jpg今日10月1日から2日まで、東京・日比谷公園で、グローバルフェスタ JAPAN 2011が開かれています。昨年に続き、私は2回目の参加です。今年のテーマは「絆~私たちはつながっている -世界は日本とともに。日本は世界とともに。」です。
午後2時より前に、公園の日比谷門にあるフェスタの黄色いエアーアーチをカメラにおさめ、メインステージに足を運ぶと、会場いっぱいの人。昨年を上回る 盛況でした。まもなく『地球VOCE 藤原紀香トークショー』が始まりました。「地球VOCE」は、藤原さんがナビゲーターを務めている国際協力活動に携 わっている人々とそのお仕事を紹介するテレビ番組(テレビ東京放送)です。外務省・地球VOCEのサイトから動画を見ることができます。
絆の道.jpg
藤原紀香さんが、ボランティアや国際協力にかかわるようになった原点は、阪神・淡路大震災(1995年)の時、多くの人が支援にかけつけて助け合った経 験から、人と人の絆を感じたことだそうです。東京に上京して女優として活躍していた2001年に、9・11同時多発テロが起こり、ホームステイ先だった ニューヨークの家族の安否を心配して、ニューヨークに飛んだそうです。藤原さんはそのとき、とても優しいはずのその家族が、テロに対して「やり返さなくて は・・」と報復ムードに包まれていたことに驚き、戦争は人を変えてしまう怖いものだと感じました。そして、報復戦争が始まりましたが、アフガニスタンで起 きていることを取材して知らせる必要を感じ、2002年に企画書を作り、テレビ局に持ち込んで、8月にアフガニスタンへ行ってテレビレポートしました。そ のとき撮った1500枚の写真の中から選んで、2002年12月に写真展を開き、その後も、日本各地でチャリティー写真展を開きました。そしてアフガニス タンや戦争の傷跡が残るカンボジアなどの子どもたちを救うこと、特に子どもたちが教育を受けられるようにと様々な活動をされてきました。その一つが 「Smile Please 藤原紀香 世界こども基金」です。http://smile-please.com/ 国際協力NGOの「セーブ・ザ・チルドレン」や「JHP・学校をつくる会」などとつながりながら、継続して活動をされてきました。お話を全部紹介できませんが、それぞれのホームページをご覧いただければいいなと思います
ありがとう.jpg
藤原紀香さんは、東日本大震災にも様々な支援活動に携わり、国際緊急援助隊の活動のすばらしさ、世界各国から日本の支援に対する感謝の気持ちも込めて、 愛情のこもった様々な支援があったことを紹介されました。被災地のこどもの心をケアするためにセーブ・ザ・チルドレンが行った「こどもひろば」の活動、女 川で子どもたちが復興への願いと支援への感謝の気持ちを込めた描いた絵の紹介がありました。
パンフレット.jpg藤原さんのトークショーの後、私はNGO、NPO、企業のCSR(corporate social responsibility)のブースのテントを回りってみました。私の知らないところでいろいろな国際協力の活動、震災復興支援の活動が、工夫を凝ら して行われていることを知ることができました。明日は、残念ながら参加できませんが、おすすめはメインステージ・プログラムで10時から第6回UNHCR 難民映画祭『ひとりの人生。ひとつの物語。』、11時からの『ゴスペルLIVE 歌声とリズムが心をつなぐ』、入場は無料です。お近くの人は、ぜひ参加みてみてはいかがですか。

2011年9月25日日曜日

原発ゼロへ!原子力空母はいらない!横須賀集会

 9月25日、横須賀ヴェルニー公園で、「原発ゼロへ!原子力空母はいらない! 米原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀配備3年抗議集会」が開かれ、 4500人が集まりました。主催は、安保破棄中央実行委員会・原子力空母配備阻止神奈川県闘争本部・三浦半島阻止連絡会・首都圏の安保破棄実行委員会で す。横須賀集会.jpg
 3年前に原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備され、原子炉の事故や放射能漏れの危険が指摘され、反対運動が広がりました。昨年も9月25日に 集会が行われ、日本で原子炉のメンテナンス作業を行い、放射性廃棄物を輸送船に積み替えて搬出していることの危険性を告発しました。そして今年3月の福島 第一原発の事故は、3000万人が暮らす首都圏・東京湾の入り口に、原発と同じ「軽水炉」型の原子炉を抱えた空母が居座ることがいかに危険なことであるか を、現実の問題として私たちに突きつけました。国民の命よりも日米同盟を大切にする政府はもういりません。原発ゼロをめざす国民的な運動とともに米原子力 空母撤去の運動をさらに広げていきたいと思います。

国境のない核汚染 『ヒバクシャ』(鎌仲ひとみ)から

 鎌仲ひとみ監督の映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』(2003年)をDVDで観ました。この映画の完全シナリオが収録されている書籍『ヒバクシャ ドキュメンタリー映画の現場から』鎌仲ひとみ著(2006年、影書房)も読みました。
 イラクでは、1991年の湾岸戦争で米軍に大量の劣化ウラン弾を投下された後に、白血病を患ったり障害を持って生まれてくる子どもたちが年々増え続けました。鎌仲さんは、1998年の最初の取材では、イラクの子どもたちを殺しているのは医療を危機的な状態に陥らせている経済制裁にあると感じました。そして制作したドキュメンタリー『戦禍にみまわれた子供たち ― 湾岸戦争8年後のイラク』が1999年2月NHKの衛生番組で放送されました。
 その後、鎌仲さんは、写真家の森住卓さんの紹介で肥田舜太郎医師に会い、イラクの子どもたちに起きていることは被曝だということを知り衝撃を受けます。肥田さんは、自身も被爆者であり、戦後一貫して被爆者医療を続けてきた専門家です。2001年の夏、原爆記念日に肥田さんと一緒に広島を訪れ、そこで「アメリカのヒバクシャ」というトム・ベイリーさんと出会いました。ハンフォード核施設が、故意に放射性物質を風下にばらまいて住民をモルモットにしたと彼は言います。
 こうして、イラクの劣化ウラン弾の被害者、アメリカの核施設による放射能汚染による被害者、日本の広島・長崎の被爆者は、それぞれ同じ苦しみを抱え、根源には核兵器や原発の核燃料製造に伴う放射性物質の大量蓄積があったことにたどり着きます。こうして映画『ヒバクシャ』が作られ、2003年に上映されましたが、私はこの映画を観ていませんでした。劣化ウラン弾がもたらす被爆の問題や、広島・長崎の被爆者認定の壁に「低線量被曝」の問題があることを知っていましたが、アメリカのハンフォード核施設で、原爆に使用された濃縮ウラン・プルトニウムや原発の核燃料が作られ、副産物として劣化ウランが大量に生成されていたことをこの映画・書籍で初めて知りました。DSC01299.JPG
 東日本大震災による福島第一原発の重大事故によって住民が被曝の危険にさらされています。多くの人々が鎌仲さんの『ヒバクシャ』を注意深く観て、現在進行している被曝問題の本質に気づき、それを止めることができていたら、こんなことにはならなかったのではないかという後悔の念が生まれました。でも、たたかいはこれからです。政府は原発を引き続き稼働させようとしていますし、核兵器も世界にたくさん存在します。濃縮ウランの製造と使用済み燃料の再処理をやめさせることが、その根元を断ち切るために必要です。

2011年9月18日日曜日

私は忘れない GROUND ZERO 追悼慰霊祭

DSC01269.JPGDSC01272.JPG 9月17日、東京新宿・経王寺で、「私は忘れない GROUND ZERO 追悼慰霊祭」が開かれ、参加しました。主催は、同追悼慰霊祭実行委員会、協力:アユース仏教国際協力ネットワーク、日本国際ボランティアセンター(JVC)です。
第一部のシンポジウム「希望を探して・・・・」~平和な社会をつくるには?~ では、野中章弘さん(ジャーナリスト)、長谷部貴俊さん(JVCアフガニ スタン現地代表)、原文次郎さん(JVCイラク事業、現地調整員)が、9・11から10年の間にたくさんの一般市民が殺された理不尽さと深まる外国軍への 反発、進まない復興と人道支援の必要性などについて話されました。3人の報告を受けて、臼杵陽さん(日本女子大学文学部教授)が対テロ戦争の背景には、そ れ以前のアメリカによる中東の石油支配の戦争政策があったことなどに触れ、テロと報復戦争の意味を考えるとともに、宗教対立を煽るマスコミの問題点などに ついて言及されました。
第二部は、追悼法要でした。ヒロシマ・ナガサキ原爆の犠牲者、ニューヨークテロの犠牲者、東日本大震災の犠牲者のご冥福を祈り、参加者全員で法華経を合唱しました。
第三部は、音楽慰霊祭で、上畑正和さん(ピアノ・足踏みオルガン)、渡辺順一さん(サックス)、梅野泉さん(詩・朗読)による演奏に聴き入りました。
9・11から10年、3・11から半年後に、グラウンド・ゼロに直面した人々の苦しみと悲しみを忘れずに、それを乗り越えて希望を切り開いていこうとい う趣旨のシンポジウムと追悼慰霊祭が行われたことは、たいへん意義のあることだったと思います。無宗教の私も、法華経を唱和し、死者をご供養することがで きました。

2011年9月11日日曜日

9・11同時多発テロから10年に思うこと

 アメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突撃し、3000人もの犠牲者を出した9・11同時多発テロから10年の今日、世界が平和への祈りで包まれることを願ってやみません。
私は、このテロ事件に対して、アメリカがアフガニスタンへの報復戦争を始めることに反対する世界の市民がインターネットを通してつながり、声をあげたこ とを思い出します。そうした情報を交換していたメーリングリストのメンバーが、一般のメディアではあまり目にすることができない彼らの声を多くの人に読ん でもらうために出版したのが坂本龍一+sustainability for peace 監修の『非戦』(2002年、幻冬舎)です。戦争と報復テロの連鎖を断ち切るために武力を使わない世界平和の構築を多くの人が考え、訴えました。
また、アフガニスタン戦争にとどまらずイラク戦争へとアメリカが戦争政策を拡大していくことに疑問を持ち、反対するアメリカの市民や退役軍人の活動も高 まりました。アメリカの戦争政策を告発する必読書の一つがジョエル・アンドレアスさんの「戦争中毒」です。アンドレアスさんは、アメリカの漫画家で反戦活 動家です。日本では、きくちゆみ監訳・グローバルピースキャンペーン有志訳『戦争中毒 アメリカが軍国主義から脱け出せない本当の理由』(2002年、合 同出版)が出版され、注目されました。
それから、去年の私のブログで紹介した、平和な明日を求める9・11犠牲者家族会(September 11 Families for Peaceful Tomorrows )の活動を記録した『われらの悲しみを平和への一歩に』(2004年、岩波書店)も忘れてはいけません。
戦争は市民が望んで起きるものではありません。軍需産業をはじめとする大企業の利益を目的として起きるのです。日本は、1945年8月の敗戦まで、そう した戦争の加害者となり、その報復として原子爆弾をヒロシマ・ナガサキに投下されました。このことを深く反省し、日本国憲法前文で二度とその誤りを繰り返 さないことを宣言し、九条により戦争を放棄したのです。
日本の戦争を美化する中学校歴史教科書が少なくない学校で採択されてしまいました。戦争を知らない若い世代に、歴史の真実と日本国憲法に刻まれた平和へ の決意を伝えていくためにも、9・11同時多発テロ事件の背景と報復戦争の問題について一緒に考えていきたいと思います。

2011年8月28日日曜日

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次回更新時から、So-netブログ「平和に生きる権利」と同じ記事を掲載したいと思います。

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