2011年12月4日日曜日

見つめよう 歩みだそう 3・11後の教育と憲法(2)

昨日の「教育子育て九条の会第4回全国交流集会」のオープニングで、東京高校生平和ゼミナール連絡会の活動が紹介されましたが、『子どものしあわせ』11月号(日本子どもを守る会編集)にメンバーの田中さんが記事を書いています。沖縄戦と基地問題について書かれたところを抜粋して紹介します。
「核兵器・原発も軍事基地もない平和な世界をつくりたい -長崎・沖縄平和学習旅行に参加して」
(前略)…私が沖縄で一番印象に残っているのは、宮城喜久子さんの「次世代に伝えたいこと~ひめゆり学徒の証言」でした。話の中で「始めは血の出ている人も見るのが辛かったが、『我慢しろ、我慢しろ』と言われているうちに、血の出ている人も死んでしまっている人も見るのに慣れていった。女の子は女の子ではなくなっていき、人間らしさもなくなっていった」と言っていました。いまの私たちと同じくらいの女の子が将来の夢とかこれからやりたいことが私たちと同じようにたくさんあるはずなのに、毎日暗いところで人間らしさまで奪われるようなことをさせられていたのです。私だったら絶対逃げ出しているな、と思いました。しかし、この時代にはそう思わせないような教育があったということも学びました。宮城さんの話を聞いた日の昼に、南部戦跡の見学へ行き、糸数壕とひめゆり平和祈念資料館へ行きました。ひめゆり平和祈念資料館には、亡くなった人たちの写真とこの人はどういう人だったのかということが一枚一枚記録されていました。壕の中はとても暗く、このようなところで働かされたら、明日生きる希望なんてどうやって生み出すのだろうと感じました。これらを見て体験した夜に宮城さんの話を聞いたので、とても生々しかったし、聞いていてとても辛かったです。
このように沖縄戦で苦しい体験をし、戦争を憎む沖縄の人たちのフェンスを挟んだすぐ横にいまもあるのが米軍基地です。普天間基地や嘉手納基地へ行き、基地と住宅地の距離の近さを自分の目で見てよくわかりました。  米軍機墜落の可能性や犯罪におびえ、騒音に苦しみながら沖縄の人たちは生活しているのです。さらに沖縄にある基地から米兵が海外へ戦争に行き人を殺しているのです。宮城さんはこのことをものすごく悔しいと話していました。戦争を知る沖縄の人がこれを許すはずがありません。
(中略)…私は、いま、戦争体験を証言し訴えている人たちの気持ちを受け継ぎ、次世代に伝えていき、仲間と共に米軍基地の撤廃を訴え、憲法九条を守っていきたいと思います。 --------------------------------------------------------------------------------------------------  
私は、この日(12月3日)の夜、沖縄の若者たちによる舞台劇「フクギの雫 ~沖縄・宮森小学校米軍機墜落事件から52年~」を観劇しました。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184803-storytopic-1.html
東京と沖縄の若い人たちが、同じように戦争と平和について考え、行動していいることに希望を感じました。

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