次に行った広野町は、福島第一原発から30㎞圏内に位置し事故当時は全町民が避難しました。2011年9月に、国は広野町の緊急時避難準備区域の解除を発表し、広野町は詳細なモニタリングに基づく除染作業やインフラの整備をすすめてきました。2012年3月には、いわき市に移転していた役場機能を広野町の本庁舎に戻して従来の業務を再開しました。しかし住民は事故当時の人口5400人のうち約2割しか戻らず、小中学校生徒もいわき市内の仮設住宅などからバスで通学しているといいます。町の北部にあるJビレッジ(福島県、東京電力、日本サッカー協会、Jリーグが共同出資して作ったスポーツ施設)は、福島原発事故収束作業にあたる労働者の集結拠点になっています。ビレッジの裏側は除染作業で出た放射能汚染物を詰めた黒い大きな土のうが集められ、広い敷地に3段に積み上げられていました。(次回に続く)
◆被災地・現地視察ガイドポイント(クリックして拡大)



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